偉大なる芸術家の思い出

チャイコフスキーの難曲、名曲である。

ピアノ三重奏で、第2楽章まで50分くらいだろうか。

名曲であはあるが、暗く哀しく重苦しい旋律が続く。

小四の私はすでにこの曲を諳んじていた。

絶対音感もある。

今日は思いつくままに書き連ねる。

私がリビングでピアノの練習をしていると、母は急にピアノの掃除を始める。

狂ったように鍵盤を吹き始める。

私が弾いているのに…

私はなんなの、お母さん!今弾いてるでしょうやめてよ!と言えない。

結局私は、誰か人がいる時はピアノを弾かないようになっていった。

ピアノだけではない。

どんなことも、一人きりじゃないと力が出ない。

人がいると、人が見ていると私は全くの別人のように何にもできなくなってしまうのである。

何度も何度もピアノの練習を雑巾掛けに邪魔されて、私は価値がないんだ、ピアノも弾いちゃ駄目なんだ、人に正しく反論することは出来ない人間になってしまった。

やめてよ!と言えない。いや、言ってはいけないと自分に呪いをかけてしまった。

何度も何度もピアノの練習を邪魔され、自己否定は膨らみ続け、自己肯定感など全く無い人間になってしまったのだ。

いじめられっ子の典型である。

なんであんなことをしたのかわからない。

わからないから、とても苦しい。

お母さんどうして私がピアノを弾きだしたら急に拭き掃除を始めたの?

他の子達にはしないのに、何故あんなことするの?

私たちは今でも仲良し親子、家族で、しょっちゅうみんなで会う。

私が実家のトイレを出ると必ず母は、はい!いいよ、手洗って!と台所のシンクを片して呼び掛けるのである。

私は毎回、いや、トイレで洗ってきたからと答える。

どうして毎回毎回そんなことをされなきゃいけないの?

私は嫌だと言えない。

必ずいや、洗ってきたからと毎回答える。

どうしてそんなことをいまだに続けなくてはならないのか?

いい加減、自分にも母にも反吐がでるいやらしさを感じる。

私たちは異常だ。

だのに母は認めない、いや気付きもしていない。

素晴らしい母親で優しく明るいおばあちゃんだと信じきっている。

私は生きてる限りずっと苦しみ続ける。